動物的カン♪

人間は、日常生活の会話の中で、
よく「勘が当たった!」とか「勘がはずれたなあ。」とか言うことがあります。
学校のテストで「ヤマ勘が当たったんだ!」とか、
「なんかそんな予感がした。」
「なんとなく嫌な予感がする。」
などと口にします。

その「勘」、「予感」というのはどこからくるのでしょうか?

「勘(カン)」も「予感」もいわゆる動物的カンというところから
きていて、いわゆる人間の本来持っているところの
動物的な「本能」やただの「感覚」からきているものと言えます。

「好き」とか「嫌い」とかの理由も本能や感覚で選んでいるのかもしれません。
そして、理由づけはあとからついてきている。

欲望のおもむくままに、動物的カン、動物的感覚だけで行動すると、
人間的には、無謀で無計画で行き当たりばったりになりかねないです。

ただ、ネコちゃんと暮らしていると
人間の持っている五感(視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚)
研ぎ澄まされてきて、なおかつ「六感」という、理屈では説明しがたいもの、
鋭くものごとの本質をつかむ心の働きが強くなっていくような気がします。

さらに人間の五感よりもネコちゃんの五感は、
明らかに優れています。
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五感の中でも特に優れているのが、
聴覚で優れたアンテナを持っているから
人間には聞き取れない音も聞き取ることができます。

嗅覚も、嗅ぎ分ける能力が人間の数万倍ともいわれています。

視覚は、暗闇では、人間よりもよく見えます。
ネコの目が光るのは、
網膜に光を集める細胞が人間よりもたくさんあるから。

触覚は、おひげが情報収集のレーダーの役目をしている。

人間の動物的カンが役に立つというのは、
身の危険を察知するときになっているのかもしれません!

この感覚は理屈では説明できないし、
科学的にも証明できない。動物はその感覚に優れた生き物。
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身の危険を察知する動物的カン!と「六感」

今は、情報社会の世の中、情報で溢れかえっています。
人間は、どうしても情報に振り回されやすい生き物。

いったい何が正しいのか間違っているのか
何を信じたらいいのか、
人に惑わされたり、
人の言葉を鵜呑みにしたりして、
ヘタをすると騙されかねない。
危険で騒々しい競争社会の世の中。
どこも表と裏のタテマエ社会

今、人の本音というのは、
心に余裕がなく、自分中心の自分さえよければ、
とか、自分の事で精いっぱい、なようだ。

人はいつも人と比べてしまうから疲れてくる。
純粋な心だとよけいに疲れる。

でも純粋な心を忘れたくない!時々、静かに目を閉じ、耳を澄ませると、
大切なのは、本来持ち合わせている五感と六感、
この感覚を研ぎ澄ますことってすごく大事なんだなあ
と思います。

猫を飼うと、猫が大切なことを教えてくれます♪
「モコちゃんは、いつもマイペースだもんねー♪ ほっこり!癒されるよー♪」

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